京セラフィロソフィ 第四十九条 小善は大悪に似たり

私たちが住んでいるマンションに一匹の野良猫がやってきました。

息子は猫をかわいそうに思い、餌をあげたいと提案してきました。しかし、私は息子に「長い目で見ると、安易に食べ物を与えると、猫は本来持っている自力で餌を探す能力を失ってしまう可能性がある」と強く伝えました。

そして、京セラフィロソフィ第49条「小善は大悪に似たり」にある、老人と野鴨の物語を子供たちと共有しました。


ところが、観察していると、マンションの住民の中には、やはり猫を哀れに思って餌を与える人がいました。

その結果、猫は今では毎朝晩、マンションの入り口で直接人に餌をもらえるのを待つようになりました。さらに、環境が汚れるという問題も発生しました。猫は餌をすべて食べきらず、食べ物を咥えてあちこち歩き回るのです。

息子は「どうして地面がこんなに汚いの?」「餌をあげた近所の人はなんで片付けないの?」と尋ねました。管理人さんも、「特定の住民が無秩序に餌をやるせいで環境が汚れる」とこぼしていました。

この一連の出来事を通じて、息子たちは、なぜ父親が家にある食べ物で安易に飼育することに反対したのかを理解しました。

そして、猫のためを思えばこそ、管理人さんに頼んで、野良猫対策の専門部署に連絡してもらい、適切に処置してもらうことが最善なのだ、と気づいたのです


同情心から野良猫に餌を与えたことで、かえって環境が汚れ、猫が自力で生きる能力を失ってしまった。

2025-09-01